相談室便り バックナンバー49
ルールを考えよう ~守ることで守られるもの~
ルールに縛られると…
相談室では何でこんなに学校や家庭のルールが厳しいのか?というグチを聞くことがありますが、その一方で、ルールを守らなければならないという思いが強すぎて、生きづらさを感じている生徒からの話をよく聴くようになってきました。
ルールを破ると怒られるのでは?周囲に迷惑をかけるのでは?という不安にとらわれていると、自分の気持ちを抑え過ぎてしまったり、言いたいことが言えなくなってしまったりすることがあります。
学校でも家庭でも大人が子どもにルールを強いるのは、ルールを守ることで円滑な集団生活を維持し、社会性を身につけてもらいたいからでしょう。しかし、そのルールに縛られ過ぎてしまうと、不自由な生活を強いられてしまうことがあります。私たちはどのようにルールとつきあっていけばいいのでしょうか。
何のためのルール?
まず、ルールは何のためにあるのでしょうか。ルールなきボクシングはただのケンカであるように、ルールがあるからこそスポーツを楽しむことができます。規則正しい生活を守ることで健康が守られ、交通ルールを守ることで命が守られます。ルールという束縛があるからこそ、その範囲内で自由を享受することができるわけです。そう考えると、ルールは守ることで守られるものと言えます。
それでも、そのルールに不自由さを感じるときは、そのルールが間違っていたり、変える必要があったりします。あくまでもルールというのは目的のために守るもの。ルールを守ることだけが目的になっていると、何のためのルールなのかわからなくなり、不自由さを感じるようになるかもしれません。
法とは願いである
ルールに不自由さを感じられるときは、そのルールの目的がルールを作った人の利益や都合によって作られている場合もあります。たとえばルールを作った人が悪い人で、弱いものをいじめるルールを作ったらみなさんは従うでしょうか。勝てば官軍というように、戦争の勝者によって正当化された歴史の教科書やルールが作られることもあります。正義は時代や文化によっても変わってくるように、公明正大で永遠不変のルールを作るのはなかなか難しいのです。
漫画「キングダム」では平和な国を作るために法による支配(法治国家)を目指す様子が描かれていますが、法の番人とも呼ばれた李斯は法とは何か問われたとき、「刑罰とは手段であって法の正体ではない」「“法”とは願い!国家がその国民に望む人間の在り方の理想を形にしたものだ!」と述べています。法律や校則は、こんな国にしたい、こんな学校にしたいという国家(国民)や学校(生徒)の思いを反映させたものと言えるかもしれません。
ルール作りの一員になろう
警察庁の統計によると、刑法犯・少年犯罪の認知件数や交通事故死者数は(人口比でも)戦後最低を更新し続けています。しかし、日本の法律は厳罰化の流れにあり、コロナ禍において一層強まってきています。
イギリスの作家ジョージ・オーウェルは1949年に書いた小説「1984年」の中で、反体制的な思考を抱くだけで処罰される恐ろしい監視国家がやってくることを予見しました。個人情報が管理され、貧富の格差が広がる昨今、権力者の都合のいいようにルールが作られていく可能性を問題視する専門家もいます。
漫画「ドラゴン桜」では、社会のルールは頭のいい人の都合のいいように作られているので、東大を目指してルールを作る側にまわれと、受験生を鼓舞する様子が描かれています。東大に入ればルールを作る側になれるとは限りませんが、たくさん勉強して教養を身につけることは、ルール作りには欠かせないでしょう。
どのような国にしたいのか、どのような学校にしたいのか。ただルールに従うのではなく、ルールとは何なのかを考え、作る側の立場になってみること。そうやってルール作りに参加できれば、それぞれの願いが通じ、不自由さよりも自由を感じられる生きやすい社会になってくると思います。