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孤独力をつけよう
一人になるということ
入学した1年生、クラス替えをした2,3年生は、新しいお友だちはできましたか?友人関係の相談では「一人でお弁当を食べたくない」「仲間はずれになりたくない」というものもあれば、「一人でいたいのに周りに合わせるのが疲れる」「なんでトイレまで一緒にいくのかわからない」といったものもあります。
人間関係においては、一人でいたい人もいれば一人でいたくない人もいます。一人でいたいときもあれば一人でいたくないときもあります。ただ、「一人でいたくないからしょうがなく友人といる」というのと「一人でいられるけど友達といるともっと楽しいから一緒にいる」というのは、同じようで心の状態は大きく変わってくるものです。
一人でいたくないから…
孤独から逃れようとして、ついつい手を染めてしまうことの一つに「いじめ」があります。スケープゴート(生贄)といって、いじめのターゲットを1人作っておけば、それ以外の仲間で結束することができますし、孤独から逃れることができるように思えてきます。ネット上で一人の相手をバッシングし、炎上させることで、キャンプファイヤーのようにお祭り状態を楽しむことができるかもしれませんが、それも長くは続きません。社会的に優れている人を妬んだり、社会的弱者を蔑んだりすることは、自信のなさや孤独の表れだからです。
一人を攻撃することで得る一体感は虚しいものです。そのターゲットがいないと、結束できないような友情には、根本的には信頼関係が育っていないからです。今度はいつ自分がそのターゲットになるかもしれないという不安が、長いものに巻かれるように流されやすい人になってしまいます。
一人ぼっちが強くする
一人でいることを若い人の間では「ぼっち」と言うそうですが、ぼっちとはひとりぼっちの略で、ひとりぼっちというのは一人法師が語源になっているそうです。どの宗派・教団にも属さずあてもなく世の中をさまよい歩く僧侶のことを言います。あまりポジティブな意味ではないように聞こえるかもしれません。
しかし、仏教を開いたブッタは一人で放浪の旅に出て悟りをひらいたと言われています。剣術の道を追求した宮本武蔵は「独行道」の中で孤独に耐えることを説いています。明治維新の立役者である吉田松陰、坂本龍馬、高杉晋作などは脱藩しています。企業の社長には孤独な立場であると言われます。何かを偉業を成し遂げようと、その道を追求していく人は孤独がつきものであり、一人ぼっちに耐える孤独力を身につけていると言えるでしょう。
仲間はあとからついてくる
たとえば、政治は理念があって政党ができます。ただの仲良しグループだと烏合の衆になりバラバラになりやすいものですが、明治維新のように政治理念の元に結束した集団はものすごい力を発揮することができます。それと同様に、最初から仲間を作ることを目的にすると、自分の本来の目的を見失いがちになるのです。
仲間を大切にすることはよいことですが、仲間を作ることを優先した場合、たとえば友達が悪いことをしていれば一緒になって悪いことをしてしまい、流されてしまうこともあるかもしれません。そこには主体的に選択している自分がいません。
むしろ、自分が成し遂げたい夢や目標、志があれば、同じ志をもった仲間が自然と集まってきます。仲間は最初からいるものではなく、あとからできてくるものです。仏教を開いたブッタは「サイのごとくただ一人歩め」と最後に言ったそうですが、その教えを求めて人がたくさんついてきました。一人でもサイのようにゆっくり突き進んでいくのが、夢や目標を果たし、本当の幸せを求める上で大切なのかもしれません。