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幸せの方程式
幸せって何?
先日、ブータンから国王が来日して話題になりましたが、ブータンという国では、GNP(国民総生産量)という物質的・金銭的な豊かさではなく、GNH(国民総幸福量)という心の豊かさを大切にしているそうです。確かに、どんなにお金持ちになっても、どんなに一流の大学に入っても、それで自分が幸せと感じなければむなしいものです。それでは、その幸せはどうやってはかれるのでしょうか。
不満と満足
幸せの形や価値観は人それぞれですが、不幸せに感じるときは「毎日がつまらない・・・」「なんかいいことないかなぁ・・・」という物足りなさや不満を多く抱えています。また、「自分ばかりがこんな目に合って…」「あいつのせいで嫌な思いをした」と自己中心的で他人を責めるような考えに陥りやすくなります。
一方で、幸せに感じられるときは「毎日が充実していて楽しい」「勉強や部活で達成感がある」など、好きなことにエネルギーを注いでいて、充実感があります。また、「~のおかげで」「自分は恵まれている」といった周囲の人に支えられている感覚や、感謝の気持ちを持っています。幸せに感じている人は不満や愚痴よりも「いただきます」「ありがとうございます」といった感謝の言葉を口にし、日々の生活に満足感があるようです。
幸せ = 実現/理想
そのような満足感を得ている人というのは、いわば、目標を達成している人、理想を実現している人と言えます。ですから、目標や理想が高すぎても、そこに届かなければ不満になります。理想と現実を一致することができれば満足できるわけです。
たとえば、テストで取りたい点数が100点だとして、結果が50点だったとします。すると、半分は物足りない気持ちになります。だから、頑張って100点に近づけるか、あるいは目標とする点数を下げて50点にすれば、50/50で満足できるかもしれません。しかし、前回、60点とっていたのに、今回の目標を50点に下げてしまうことは堕落につながることもあります。
一方で、目標を高く設定しすぎて、テストの計画表だけ完ぺきにしても、結果がうまくいった話はあまり聞きません。無理に頑張りすぎて、燃え尽きることもあります。理想と実現の値をなるべく近づけて、一致させることで満足感がでてきます。
諦めるとは明らかにすること
仏教では、悟りをひらくことを“諦めの境地”といったりしますが、本来、諦(あきら)めるとは、明らかにするという意味です。ありのままの現実を受け入れること、あるがままの自分を認めることです。今の自分を肯定することによって、はじめてさらに高い目標へと挑むことができます。
理想が高すぎたときは感謝や諦めで今の自分を受け入れましょう。一方で、実現が足りないときは、少しずつ努力しましょう。ほどよい理想や目標を掲げ、できる範囲でコツコツ努力をしていく。それを繰り返していれば、幸せ=実現/理想の方程式の通り、自然に心は満たされてくるでしょう。
実現と理想のどちらが高すぎても低すぎてもうまくいきません。日々の生活で不満を感じているときは、幸せの方程式を使って、理想が高すぎるのか低すぎるのか、あるいは頑張りすぎているのか頑張りが足りないのか計算してみてはいかがでしょうか。